1991-03-07 第120回国会 参議院 建設委員会 第3号
○種田誠君 今両省庁の方から御答弁があった中で、事故の総合的な分析、データの蓄積、データベース化を図っている、こういうような答弁があったわけですが、実は私過去の議事録を拝見しておりましたらば、昭和四十一年に我が党の先輩議員の村田秀三さんがこの法律をつくるときに、日本の警察はしっかりした捜査記録を持っておるんだからこのようなものを今後の事故対策のデータとして分析の対象として蓄積しなさい、そしてそれを類型化
○種田誠君 今両省庁の方から御答弁があった中で、事故の総合的な分析、データの蓄積、データベース化を図っている、こういうような答弁があったわけですが、実は私過去の議事録を拝見しておりましたらば、昭和四十一年に我が党の先輩議員の村田秀三さんがこの法律をつくるときに、日本の警察はしっかりした捜査記録を持っておるんだからこのようなものを今後の事故対策のデータとして分析の対象として蓄積しなさい、そしてそれを類型化
昭和六十年三月二十七日(水曜日) 正午開会 ───────────── 委員の異動 一月五日 委員村田秀三君は逝去された。 一月七日 補欠選任 菅野 久光君 ───────────── 出席者は左のとおり。
皆様既に御承知のとおり、本委員会委員でありました村田秀三君は、去る一月五日逝去されました。まことに哀惜痛恨にたえません。 同君の長年にわたる御功績をしのび、委員会を代表いたしまして、委員長より供花をささげ、弔意を表したことを御報告申し上げます。 ─────────────
○降矢敬義君 議員村田秀三君は、去る一月五日、郷里の福島県白河市において、心筋梗塞のため、忽然として逝去されました。同僚議員として、まことに痛惜にたえません。皆様のお許しを得て、ここに同君の御生前をしのび、謹んで哀悼の辞をささげたいと存じます。 村田君は、大正十年五月、白河市にお生まれになり、昭和十四年、仙台の逓信講習所を御卒業の後、白河郵便局に就職されました。
昭和六十年一月二十九日(火曜日) 午前十時一分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第五号 昭和六十年一月二十九日 午前十時開議 第一 国務大臣の演説に関する件(第二日) ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会談に付した案件 一、議員村田秀三君逝去につき哀悼の件 以下 議事日程のとおり ─────・─────
議員村田秀三君は、去る五日逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、議長は、既に弔詞をささげました。 ここにその弔詞を朗読いたします。
本日は、冒頭、議員村田秀三君逝去につき哀悼の件でございます。議長から、既に弔詞をささげました旨御報告の後、弔詞を朗読されます。その際、一同御起立をお願いいたします。次いで、降矢敬義君から哀悼演説がございます。 次に、日程第一 国務大臣の演説に関する件(第二日)でございます。去る二十五日の国務大臣の演説に対し、小野明君、古賀雷四郎君の順にそれぞれ質疑を行います。
辞任 補欠選任 松岡満寿男君 園田 清充君 佐藤栄佐久君 安井 謙君 梶原 敬義君 小山 一平君 十二月二十一日 辞任 補欠選任 園田 清充君 松岡満寿男君 安井 謙君 佐藤栄佐久君 小山 一平君 梶原 敬義君 一月五日 委員村田秀三君
既に御承知のことと存じますが、本委員会の理事であられました村田秀三君が、去る一月五日、逝去されました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 ここに、謹んで同君の長年にわたる御功績をしのび、皆様とともに黙祷をして御冥福をお祈りいたしたいと存じます。 どうぞ御起立をお願いいたします。黙祷を始めます。 〔総員起立、黙祷〕
○村田秀三君 次に、関連をするわけでありますけれども、これは十一月二十日の日経新聞の報道でございます。米政府は、我が国の電電法案成立後をにらんで、郵政省に対して電気通信自由化後の通信用端未機器の認定について国産品と外国製品を差別しないよう要請してきたと報じられております。これ、郵政省はどう対応をしますか。
○村田秀三君 慎重に検討すると、こういうことでありますが、これは政府調達協定でありますから、民間となればこれは政府の手から外れるわけでありますから、法理論上は極めて明確だと私は理解するわけでありますが、いかがでございますか。
○村田秀三君 今のお答えも余り明瞭ではございませんけれども、いずれにいたしましても、いずれ明確にしなけりゃならぬ時期が来るであろうと思います。電電といたしましては、四月以降のことを考えてどちらを希望いたしますか。
昭和五十九年十二月六日(木曜日) 午後一時四分開会 ───────────── 委員の異動 十二月四日 辞任 補欠選任 村田 秀三君 青木 薪次君 ───────────── 出席者は左のとおり。
昭和五十九年十二月六日(木曜日) 午前十時開会 ───────────── 委員の異動 十二月四日 辞任 補欠選任 青木 薪次君 村田 秀三君 ───────────── 出席者は左のとおり。
それでは、理事に村田秀三君を指名いたします。 ─────────────
昭和五十九年十二月一日(土曜日) 午前十時二十四分開会 ───────────── 委員氏名 委員長 本岡 昭次君 理 事 堀内 俊夫君 理 事 増岡 康治君 理 事 増田 盛君 理 事 村田 秀三君 安孫子藤吉君
大鷹 淑子君 大浜 方栄君 岡田 広君 北 修二君 志村 愛子君 堀江 正夫君 松尾 官平君 鈴木 和美君 村田 秀三
昭和五十九年十一月二十八日(水曜日) 午前十時一分開会 ――――――――――――― 委員の異動 八月八日 辞任 補欠選任 青木 薪次君 村田 秀三君 九月四日 辞任 補欠選任 村田 秀三君 稲村 稔夫君 九月十四日 辞任 補欠選任 市川 正一君 下田
昭和五十九年十月十七日(水曜日) 午前十時開会 ――――――――――――― 委員の異動 十月四日 辞任 補欠選任 大森 昭君 菅野 久光君 片山 甚市君 本岡 昭次君 村田 秀三君 久保田真苗君 下田 京子君 安武 洋子君 青木 茂君 木本平八郎君 ――
去る十月四日、青木茂君、大森昭君、片山甚市君、村田秀三君及び下田京子君が委員を辞任され、その補欠として木本平八郎君、菅野久光君、本岡昭次君、久保田真苗君及び安武洋子君が選任されました。
梶原 敬義君 九月二十五日 辞任 補欠選任 下条進一郎君 岩崎 純三君 木本平八郎君 青木 茂君 十月一日 辞任 補欠選任 梶原 敬義君 菅野 久光君 十月三日 辞任 補欠選任 菅野 久光君 大森 昭君 久保田真苗君 村田 秀三
また、去る十月三日、菅野久光君、久保田真苗君、本岡昭次君及び安武洋子君が委員を辞任され、その補欠として大森昭君、村田秀三君、片山甚市君及び下田京子君が選任されました。 ―――――――――――――
昭和五十九年九月二十六日(水曜日) 午後一時五分開会 ————————————— 委員の異動 八月八日 辞任 補欠選任 赤桐 操君 松本 英一君 村田 秀三君 青木 薪次君 八月九日 辞任 補欠選任 粕谷 照美君 穐山 篤君 九月十九日 辞任 補欠選任
去る八月八日、赤桐操君及び村田秀三君が委員を辞任され、その補欠として松本英一君及び青木薪次君が選任されました。 また、八月九日、粕谷照美君が委員を辞任され、その補欠として穐山篤君が選任されました。 また、九月十九日、松本英一君が委員を辞任され、その補欠として村沢牧君が選任されました。
原田 立君 委 員 浦田 勝君 坂元 親男君 竹山 裕君 出口 廣光君 中村 太郎君 吉村 真事君 赤桐 操君 村田 秀三
委員長 青木 薪次君 理 事 堀内 俊夫君 増岡 康治君 増田 盛君 村田 秀三君 委 員 安孫子藤吉君 井上 吉夫君 植木 光教君
○村田秀三君 次に、「治水事業に係る国庫負担制度の改善等」、こういうことでございます。特に、「河川改良工事の施行等通常の維持管理を超える程度の管理を必要とする準用河川については、適用河川への指定を促進されたいこと。」と、こういう項目があるわけであります。この治水事業全般についてもそうでありますけれども、これについてひとつお答えをいただきたいと思います。
○村田秀三君 次に、「法定外公共財産の法的位置づけ等」について、こういう要望の項目がございます。これなんかも地方自治体に参りまするといろいろなことも聞きますし、また私どもの周辺地域の中でもその帰属をめぐっていろいろ住民から意見が出される場合もあるわけでありまして、これに対するひとつ対応はどうなされるのか、伺ってみたいと思います。
○村田秀三君 国土庁長官がまだ来ていないようですね。あと一問だけ残っておるわけでありますが、後で来るそうでありますから、その際に時間を譲りまして、ここで中断をしておきます。
○村田秀三君 終わります。
○村田秀三君 はい。
○村田秀三君 勉強だけではだめですよ。私が要望したものをやるというのかやらないというのか、大臣にこれ最終的に判断してもらいます。あいまいではだめですよ。
○村田秀三君 建設省が、こういう第三セクターとはいいながら、商法に基づく株式会社設立について東京都が構想を持った段階以降、何か相談を受けていた経過がございますか。
○村田秀三君 そうすると、特別な性格ではないということだけで、商法上の株式会社である、あくまでも利益を得るためのいわゆる会社であると、こう理解してよろしいですね。